10月の星空


澄み切った青空には ほど遠いながら、、、




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24mm、ISO640、f2.0、30秒、マニュアルWB、サイトロン・スターエンハンサー、Raw
高感度NRはoff、長秒時NRはoff、赤道儀で恒星追尾撮影、美濃平野部
SONY α7M4 + FE 20mm F1.8 G

2025年10月30日03時17分






押し寄せる雲の隙間をぬって 初冬の星空を撮る




クレジット下、ひときわ明るく輝くのは木星
次々と雲返し寄せるため、一瞬の間隙をぬってシャッターを切る

今年の10月は、本当に天候に恵まれない。晴れたとしても、湿度が高く結露が激しい
揖斐谷への国道のトンネル内はいつまでも梅雨の最中のような、水浸し

上の写真は赤道儀で恒星追尾しながら連続してシャッターを切った中で、雲の映り込みが少ない1枚を選んでいる
徳山村に暮らしていた頃は、早い年は10/10の旧体育の日に冠山が冠雪したこともあった。猛暑が延々と続いた昨今では信じられないことではある

上の写真は24mmレンズで撮影。14mmレンズで撮影したいところながら、これだけ雲が多いとなると超広角では雲だけを撮っている、ということになりかねない

写野の天頂付近、天の川の上にカリフォルニア星雲。その右には秋の訪れを告げるプレアデス星団が輝く、和名はすばる。
天の川と すばるを挟んで反対側にはぎょしゃ座の1等星カペラ、右下には冬の星座を代表するオリオン座。オリオンの頭上にはエンゼルフィッシュ星雲が見え、オリオン座にはバーナードループも見える
オリオン座のα星で赤く輝くベテルギウスの左下には、ばら星雲
そして木星のすぐ左上にはふたご座のカストルとポルックス。カステルは青白く、ポルックスは少し黄色がかった白色。あと1か月と少し経つと、カストル付近を輻射点とする ふたご座流星群 の季節がやってくる。1年を締めくくる、ふたご群には否応なしに期待したくなる。ただし、問題は天候。冬型の天候となると、こちらではお手上げである

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24mm、ISO1000、f2.0、30秒、マニュアルWB、Raw
高感度NRはoff、長秒時NRはoff、赤道儀で恒星追尾撮影、揖斐谷
SONY α7M3 (IR custom) + FE 24mm F1.4 GM

2025年09月24日00時51分

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上の写真では星が多すぎて分かりにくいが、ふたご座のカストルとポルックスを一辺として、右に折り返した正三角形の頂点に位置するのが、ふたご座のι(イオタ)星。4等星ではあるが、カストルとポルックスに導かれて、比較的目立つ恒星ではある。この ふたご座のι星 は中国の星宿では五諸侯とされる

話題は飛躍するが、このところ鎌倉幕府の正史とされる『吾妻鏡』を読んでいる

源三位頼政の主導とされる以仁王の挙兵と以仁王の令旨に始まり、三代目将軍源実朝が文弱で武芸を軽んじていたこと、後鳥羽上皇が倒幕を企てた承久の乱など、よく知られたこれらの逸話は『吾妻鏡』の記述をもとにしている。この書は鎌倉幕府の公式記録とされるが、「しかし、実は、これらは全てフィクションである」「『吾妻鏡』の中で構築された虚構のストーリーの産物であることがわかってきた」(藪本勝治『吾妻鏡』2024年)。『吾妻鏡は鎌倉幕府の正史と位置づけられてきたが、実際は軍記物の一面も持ち合わせていて、北条得宗家の権力を強化するために巧妙に作話・創出・省筆されている、という

『吾妻鏡』で興味を引くのは、承久の乱が起きるまでの3年間は、地震、落雷、暴風、火災、彗星、星合などの天変地異の膨大な量の記事が記されていることである。これらは自然・天文事象の記録ではなく、「世情の不穏を暗示する災異記事としての性格を帯びている」(藪本勝治『吾妻鏡』)
『吾妻鏡』承久元年(1219年)12月29日は次のように記す

承久元年十二月小廿九日辛夘。陰陽頭資光朝臣勘文(光季取進)到着。其状云。
去廿日酉剋。彗星見西方。有騰蛇中云云。仍下件状於司天之輩。被尋問之處。於關東。一切不見及由。八人同心申之云云。

(大意)


承久元年(1219)十二月小二十九日辛(かのと)卯(う)。陰陽頭安陪資光氏の上申書(伊賀光季の取り次ぎ)が到着した。その手紙によると「先日二十日午後六時頃、彗星が西の空に見えた。蛇神星(十二天将の一将)の中にあった。」ということだった。よって、その手紙を天文博士たちに見せて質問したところ、関東では全然見えなかった。と八人が声を揃えて言ったということである。

この記事で触れられている彗星が西の方で出現したが、関東では見えなかった、という。想像すると、京の都では凶事があったが、関東は安泰であるとも読める。いずれにせよ、天変事象の中で最大の凶事である彗星の出現が、京だけで見えて関東では見えなかったので関東は平穏である、などということは考えにくいので、この記事は虚構が疑われる


さて2025年10月24日に撮影した星空にはふたご座のすぐ近くに木星が明るく輝いていた
これと似た星の世界を『吾妻鏡』も記している

文永三年七月大三日癸巳。天晴。曉。木犯五諸候第三星。自今曉。民間不安。或破壞家屋。或運隱資財。是皆怖戰塲之故歟。

(大意)

文永三年(1266)七月大三日癸(みずのと)巳(み)。天(そら)晴。明け方に木星がふたご座のイオタ星に迫った。今朝から民間では恐怖におびえている。ある者は家を壊したり、ある者は財産を運んで隠したりしている。之は皆戦場になる恐れがあるからである。


さて、中国の星宿でいうところの
五諸侯(ふたご座のι星)と木星は、はたして重なったのだろうか
文永三年七月三日をグレゴリオ暦に換算すると西暦1266年8月4日。1266年8月4日04時00分の星図は下の通り


上図は文永三年七月三日、グレゴリオ暦では1266年8月4日04時00分の星図である。この日の天文薄明は03時33分、日の出は05時06分
東天に顔を出したふたご座周辺は、土星、木星がふたご座に寄り添い賑やかだ。肝心な木星はふたご座に接するぐらい接近はしているが、あくまでもふたご座の外であり、ι(イオタ)星に重なるほどではない。このことから、『吾妻鏡』の記述は必ずしも正確に記録したものではないことがわかる
なおこの件に関しては、次の論文がある

湯浅吉美「『吾妻鏡』に見える天変記事を読む―鎌倉武士は天変をどう受け止めたか-」(『郷土神奈川』通巻51号、2014年)






石灰工場の排煙上空に輝く Lemmon (C/2025 A6) レモン彗星 を撮る 4




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85mm、ISO800、f2.0、1秒、マニュアルWB、Raw
高感度NRはoff、長秒時NRはoff、三脚で固定撮影、金生山
SONY α7RM5 + FE 85mm F1.4 GM2

2025年09月23日18時27分






煌々と月が照らす下で Lemmon (C/2025 A6) レモン彗星 を撮る 3




レモン彗星 Lemmon (C/2025 A6)

撮影時のレモン彗星の光度は 5.5等
撮影時の位置は次の通り

赤経 11h02m46.7s 赤緯 +42゚22'25" (J2000)
高度 19.884°

快晴の夜空には月齢18.3の月。雲がない分、強烈な光が地上まで届く
14日が下弦の月だから、その頃には月明かりは押さえられはする
レモン彗星は周極領域へと移動しているので、夕方の西天の方でより観察し易くなる
ただし揖斐谷のこの撮影地点からは夕方の西天は望むべくもない

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ISO3200、露出時間 602.00秒
撮影開始 2025年10月10日 03:24:13

カメラ SONY α7RM3
鏡 筒  SD81S(リングスペーサーに換装)、SDフラットナーHD+レデューサーHD、625mm×0.79(F7.7→6.1)
赤道儀 SXD2、ノータッチガイド

揖斐谷







一期一会の Lemmon (C/2025 A6) レモン彗星 を撮る 2




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ISO6400、露出時間 547.00秒
撮影開始 2025年10月02日 02:20:50

カメラ SONY α7RM3
鏡 筒  SD81S(リングスペーサーに換装)、SDフラットナーHD+レデューサーHD、625mm×0.79(F7.7→6.1)
赤道儀 SXD2、ノータッチガイド

揖斐谷








レモン彗星 (C/2025 A6) 東の稜線からの出現を撮る


レモン彗星を撮影した9月22日からほぼ10日間。ずっと天候に見放されて、撮影の機会がなかった
ようやく晴天に恵まれるという予報に、日付が変わってから出かけた
いつの間にか10月。昼間はまだ夏の空気だが、夜になって気温が下がるようになった
ただし空気中の水蒸気量が多くて、結露が酷い

02時過ぎて稜線からレモン彗星が顔を出した。といっても赤道儀のコントローラーに頼っての追尾だが、ここ20.7等級の撮影地から闇夜に慣らした肉眼でもかろうじて識別できるまで増光している

夜半を過ぎれば東天は星空を望むことができるようになるが、周囲の山が低いことが難点
長時間の追尾は、稜線が邪魔をするので難しい

撮影時のレモン彗星の位置は

赤経 09h 41m 52.7s 赤緯 +40° 07′16″
(J2000)
光度は 6.5等

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カメラ SONY α7RM3
鏡 筒  SD81S(リングスペーサーに換装)、SDフラットナーHD+レデューサーHD、625mm×0.79(F7.7→6.1)
赤道儀 SXD2、ノータッチガイド
ISO6400、露出時間 60秒

2025年10月02日02時11分、揖斐谷